繋がり

午前6時59分50秒。
水面に浮かび上がるように眠りから覚め、目を開いた時に見えたのは―――
白い天井ではなく、漆黒の瞳だった。


側頭部への零距離右フックは相当きいたらしく、竜崎は頭を抱えて床を転がり回っている。
そういえば、目覚まし時計が壊れたんだっけ。人ごとのように月は呟いた。そこの男も
壊れたかもしれないが、まあそういう心配はしない。

「…月くん、ひどいです」
ようやく回復した竜崎が、いつものように小さく座り込んで言う。うらめしげな視線。
「は? いや、全力で殴ったのはすまないと思っているが」
「違います。私はただ、月くんと触れあっていたいだけなのに…それをこんな形で拒否されては…」
月は半分まで聞いたところで着替えるために隣室へ向かった。
「…本当に、ひどいです」
後に残された竜崎は、誰に告げるでもなく溜め息を漏らした。

「月くん、ちょっと…」
相沢に耳打ちされ、月は作業の途中であったがデスクを離れた。
「…今日の竜崎、おかしくないか」
竜崎はといえば、アイスコーヒーにざらざらと角砂糖を入れていた。角砂糖はアイスコーヒーに
溶けない。それも、いくら混ぜたって無理だろうという量を。確かに、竜崎らしくない。
一言で言えばふぬけている。
「様子が変ですが、原因には心当たりが無いですね」
そうか、と相沢は納得いかぬ顔で持ち場へ戻っていった。
心当たり。月は一つ嘘をついた。

放心状態の彼を横目に見ながら、竜崎自身のことを考える。自分は竜崎の正体を知らない。
国籍も年齢も、彼の風貌からおしはかることはできない。日本語はやたらと達者だが、
それとて使いこなせる外国語の一つに過ぎないのだろう。世界最高の探偵は、皮肉にも
その存在こそが最大の謎なのだ。
―――別に、だからといって何かあるわけではないけど…。
月は釈然としないものを感じるのであった。


竜崎が省電力モードになっているせいで、ろくに捜査が進まない。実際は個々人のこなす
地道な検証作業が捜査の地盤なのだが、いつもここぞという時に、竜崎の的確な指示が
新たな道を開かせる。実は思ってもいなかったところで、みんな竜崎に依存していたわけだ。
そう気付いて、月は自らの不甲斐なさを腹立たしく思った。個人としての知能なら、
うぬぼれ抜きにしても竜崎に肉薄する自信はある。それなりのカリスマ性があることも自覚している。
だが、今日の捜査本部で必要とされていた、見えない指導力は自分には無かった。
月は疲労といらだちを抱えて寝室へと向かった。
ふと、左手の手錠を見て思う。

―――この鎖は今、どこにつながっているのだろう?

すっかりナーバスになっているな、と自嘲する。こんなことではいけない。充分な休息を取ったら、
気を引き締めて明日からの捜査に当たろう。

…と思っていたのだが。寝室の入口で何かにつまづいた。疲れきったところに突然の障害物。
顔面から床に激突することだけはなんとか避けられたが、ぶつけてしまった腕がじんじんと痛む。
「今朝の、お返しです」
伏せた月の上に影が落ちる。先に部屋に入った竜崎に足を引っ掛けられたのだと、
一瞬遅れて気付いた。

ここまでくると、もう投げ付ける罵倒も尽きた。無言のまま体を起こすと、月の顔を覗き込むように、
今度は正面に竜崎がしゃがみこんだ。
今はその顔を見たくないし、その眼で見られたくない。
思わず顔を背けた月。竜崎はその腕を取ってそっとなでる。痛みが増したかのように感じるのは
なぜだろうか。じゃらりと鎖が鳴る。竜崎の指先はそのまま腕を登り、月の顎に留まった。
何をされるか分かっていても、不思議と抵抗する気にはならなかった。二人の唇がそっと重なる。
離れていく竜崎の唇を追うように、思わず言葉を発した。
「…なあ」
「何ですか」
「こんなのはもう、こりごりだ」
そう言いながらも、ふと笑みがこぼれる。まったくどうかしている。この自分さえもが。
「…月くんさえよければ、もっと優しく熱烈に愛します」
「ほどほどにしてくれ」

これ以上のことはしてやらないぞ、と言いつつも、ベッドまでの短い距離を手を繋いだまま歩いた。
そうして別々のベッドで、おやすみと言って眠る。
相変わらず竜崎のことは何一つ分からないのだが、手の先から伝わったもので充分だと
月はひとりごちた。

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