金色の光があふれる回廊。もはや主無き城を、銃士の少年が一人歩み進んでいる。生来の鋭い目付きがさらに険しくなっているのは、面倒な相手に突然呼び出されたからである。しかも空飛ぶ城の中などどいう場所に、少年一人で来いと。
(…嫌な予感しかしねぇ)
仕事はさっさと済ませるに限る。厄介なFOEをやり過ごし、緑の床に乗る。勝手に動く床には何度乗っても慣れないが、便利ではあると少年は思った。だが目的の場所を目にした時、少年は驚きの声を上げずにはいられなかった。
「…なんだこりゃ」
“樹海の上のお城の中の翼人のお店のお話”
城の一角が不法占拠されている。それが少年の率直な感想であり、そして事実だった。
天井から鮮やかな色合いの織物が何枚も吊り下げられ、カーテンのように二重三重とその空間を囲っていた。ペンダントやネックレスのような、キラキラと光る飾りが揺れている。警戒して一歩近づくと、どこかで嗅いだことのある匂いがした。
「これは…」
さらに近づく。その時、突如として黒い影が布の向こうから現れ、少年に飛びかかった。
「くっ!」
少年は反射的に銃を構えたが、“それ”が何であるかを認識すると引き金を引くことができなくなってしまった。避ける余裕もなく、そのまま影ともども床に倒れる。
「どーも、おひさしぶりー」
影―――自称・武器職人で“変わり者の”翼人が少年を床に押し倒したまま、笑いかける。
「びっくりした?」
「…撃たれるかも、とか考えなかったのか?」
頬を引きつらせて少年が問う。
「あ、そっか、危なかったね」
翼人の呑気さ、というか危機意識の低さにがっくりと脱力する少年であった。
カーテンの中は意外と心地よい空間になっていた。翼人に促され、柔らかい敷物の上に座る。城のギラギラとした光とは違う、優しい灯火。床には様々な物が転がっているが、ハイ・ラガードの日用品もちらほらと交じっている。そして周囲に漂う甘い香り。
「これってあの花の匂いだよな」
「うん、サクラの花。色々混ぜて、魔物避けの香にしてるの。村でも使ってるよ」
「ところがハルピュイアには効かなかったわけだ」
先ほどのお返しとばかりに、意地悪な言葉を放ってみる。
「そーなんだよね、困るんだよねー」
毒気の無い返事に、なぜか少年の心に罪悪感が湧き出る。翼人の言動には理解に苦しまされることがままある。だがこの翼人は(おそらく)それに輪をかけて変人なわけで、どうしても調子が狂ってしまう。
翼人は少年に背を向けて、ゴソゴソと棚らしき物を探っている。いたたまれず、ろくに翼人の方も見ずに話を切り出した。
「あ、あー、依頼の件だけど」
「そう、それ!」
少年の声を聞いた途端、翼人は声を弾ませて振り向き、駆け寄ってきた。だが、その手には盆らしき物があって―――その上にはコップらしき物が二つあって―――翼人は足元のガラクタにつまづいて―――結果、少年は強烈な匂いの薬草茶らしき液体を頭からかぶることになった。
少年は帽子と上着を脱ぎ、部屋の高い位置に張られたロープに吊るした。上半身は薄いシャツ一枚で、いつも重いコートを着ているせいか頼りなく感じる。銃や弾薬を入れている腰のポーチが無事だったのは不幸中の幸いだった。無言のまま作業を終えると、部屋の隅に目を向ける。
「…おい」
翼人は少年にタオルらしき物を渡し、ロープの場所を教えると、そのまま隅に隠れて出てこなかった。
「なんで隠れてんだよ。そんな怒ってねえよ」
すると翼人はそっと顔半分だけ出して、弱い声で答えた。
「…土の民にとって、水を浴びせるのは激しい侮辱を意味する行為だと聞いた」
先ほどまでの様子が嘘のように、委縮しきっている。
「まあ、そういう場合もあるが…俺は怒ってないし、そんな怖がられても困る」
「…だって…君が怒ったら、僕たちなんか敵わない」
翼人の言葉に、少年は少なからずショックを受けた。確かに少年はこの城の主を倒したパーティの一員である。数々の魔物との戦いも、翼人たちが見ていたのかもしれない。それ故に、一歩間違えれば自分たちは畏怖の対象にもなり得るのだ。強過ぎる、という理由で。
(力は時に恐怖を呼ぶ…俺はそんな事も忘れていたのか?)
己の慢心が、人を傷つけようとしている。ギュッと締め付けられるように、胸が痛む。こんなことで友を失いたくはなかった。そう、種は違えど友であると思っていたのだ。そのことに今、ようやく少年は気付いた。
少年は一度、二度、と深く呼吸した。胸の枷を外すために。できるだけ穏やかな声で、翼人に語りかける。
「…もしよかったら、なんだけどさ」
「え?」
「さっきの茶、もっかい淹れてくんねえかな? ちゃんと飲んでみたいんだ」
一瞬の間を置いて、翼人が笑顔を見せる。
「う、うん! 待ってて!」
いつの間にか、少年の表情も和らいでいた。部屋の中を翼人がバタバタと動きまわる。まさか二度目は無いだろうな、とほんの少しだけ少年は不安を覚えた。
「…うまい」
茶をすすり、ふぅと息をつく。嘘偽りない感想だった。翼人も明るさを取り戻し、菓子らしき物をつまんでいる。
「でしょ? なんてったって僕の特製樹海ブレンド茶だしね」
その一言に少年の手が止まる。
「樹海…?」
「そ。植物系素材をベースに…」
「だーっ! それ以上言うな!」
少年が遮る。翼人は少年の反応を理解できず、ぽかんと口を開けたままでいる。慌てて弁明する少年。
「その、つまりだな…俺たちは樹海のものを食べ慣れてないんだ。材料のことは知らない方がいいっていうか…ともかく秘密にしといてくれ」
翼人は小首を傾げていたが、とりあえず納得したようだ。少年はほっと胸を撫で下ろす。
「んで、依頼って何だ? 酒場のオヤジには何も言ってなかっただろ」
棘魚亭に現れた謎の―――というより怪しい―――人物。話を聞いてすぐにこの翼人だろうと確信したのだが、肝心の依頼内容は聞かされていない。
「それね、二つあるんだ」
「二つ?」
翼人がずい、と身を乗り出す。
「“最強の銃”を手に入れたんでしょ」
アグネア―――ワイバーンが守護していた樹海最強の銃。今は少年の手にある。それを知っているということは…
「もしかして、あれと戦ってるの見てたわけ?」
「うん」
「なんだ、加勢してくれたっていいじゃんかよ」
「無理。絶対無理」
ぶんぶんと首を振る翼人。どうやら本当にあの闘いを見守っていたらしい。
「でももし君たちが危なくなったら、抱えて逃げるつもりだったんだよ」
少年の目が驚きに見開かれる。
自分たちを助けだす?
あの竜から?
「でも勝っちゃったしー。結局僕らの出番無しってわけで、こっそり帰ったんだ」
ぐらり、と床が抜けてどこまでも落ちていくような気がした。軽口を叩いてはいるが、彼らは命を懸ける―――いや、捨てるつもりでいたのだ。この自分たちのために。なぜ、そこまでしようとするのか。そんな覚悟ができるのか。不意に、少年の目に涙がにじむ。
「え、ちょっと、どうしたの?! 僕なんか悪いこと言った?!」
「ちげぇよ、このバカ鳥」
シャツの袖でごしごしと目を拭いながら、震えた声で答える。
「…そんな危ない真似、二度とすんな」
素っ気ない言葉が、少年の言える最大限の謝意だった。
「やだよ。それに君たち、負けないでしょ?」
「…まーな」
ニヤリと笑ってみせる。目が赤くちゃ格好つかないな、と少年は思った。
「だからアグネア見せてー。アグネアー。」
「ガキかお前は」
本当に子供のようで、つかみどころの無いヤツ。だが一緒にいて、嫌な気はしなかった。
壊すなよ、と渡されたアグネアを翼人はつぶさに検めている。いつになく真剣な表情で、完全に武器の世界に没入していた。
(樹海の武器屋か…案外天職かもしれないな)
ここまで客が来れば、の話だが。少年はまだ温かいコップを手に、ぼんやりとその様子を眺めていた。服はもう乾いただろうか。そういえば、依頼はもう一つあるようなことを言っていたが…。だが翼人の邪魔をしたくはなかったので、待つことにした。急ぎの用は無いし、ここ数日のところ迷宮へは伐採組が入っている。ハイ・ラガード最強のギルドは情けないことに、金欠なのである。
ごろりと横になる。まあ、無作法には当たらないだろう。敷物の感触が心地よい。目蓋が重くなり、翼人の姿がぼやけていく。甘い香りに包まれて、ゆるゆると眠りへ落ちて行くのを感じていた。
「…お…てよ… お…い」
体を揺さぶられ、現実に引き戻される。
「ん…」
体を起こし、思いっきり伸びをした。つい熟睡してしまったようだ。仲間とのキャンプでもそこまで深く眠らないのだが、この香りのせいだろうか。
「やっと起きた。アグネアもらっちゃうよ?」
「駄目」
「ケチんぼー」
翼人はそう言いながらも、笑顔でアグネアを手渡した。
「…見たけりゃいつでも呼べよ。いくらでも見せてやる」
呟いた言葉が、ちょっとくすぐったい。
「そのことなんだけど」
座ったままの少年に翼人がずずい、とにじり寄る。
「君、もしかして男?」
「………はあ?」
あまりにも唐突な問いかけ。頭の中で反芻するが意味がわからない。
「いや、胸は平らだよね。でも土の民の性別ってわかりにくくてさー」
そう言いながら、翼人はぽんぽんと少年の胸板を叩く。ようやく正気を取り戻した少年が、その手を押しやる。
「どう見ても男だろうが!」
「そっか、男なのかー…どうしよう」
翼人が何を考えているのか全くわからないが、少年にとって良いことではないのは確かだろう。樹海で鍛えられた第六感が危険を告げている。
「怒らないで聞いてね?」
「内容次第ではお前に穴が開く」
四分の一ぐらいは本気だ。
「やだなあ、もう。いや、やっとクアナーンを説得できたんだよ」
「…説得?」
なぜ族長の名がここで登場するのか。
「あくまでも例外中の例外なんだけど、君たちが相手なら土の民とでも契っていいって」
「契るって…結婚か? うちのギルドの奴と?」
ますますわからない。少年の図上に“?”の印が増えていく。
「だから、君を娶ろうと思って」
鳴り響いた銃声にすくみ、全てのFOEが動きを止めた。
「アホか! 俺と結婚してどうする!」
明後日の方向に向けたままの銃口から薄く煙が昇っている。最大出力の威嚇射撃だ。翼人は涙目で腰を抜かしていた。
「…だって…好きなんだし…」
「好きって、お前…」
そこで言葉が途切れる。
「…好き?」
少年の問いに、翼人がうなずく。
「……お前が、俺を?」
こくこくとうなずく。
それからしばらくの間、少年は頭を抱えて座り込んだまま動かなかった。
部屋にはただ、シャラシャラと飾りの揺れる音だけ。
沈黙を破ったのは翼人の方だった。少年からほんの少し離れたところにしゃがみ、語り始める。
「僕たちの仕事は、樹海に入ってきた土の民を監視して、死んだら拾うこと。全能なるヌゥフから与えられた務め…ヌゥフはいなくなったけど」
うずくまって顔を伏せたままの少年がピクリと反応する。
「君たちもきっとすぐ死んじゃうんだろうなーって思ってた。でも君たちはどんどん強くなって、どんどん昇ってきて」
少年の目が翼人の横顔に向けられる。
「…君たちのことが怖かった。なんでボロボロになってまで進もうとするのか理解できなかった」
翼人は少年に見つめられても、穏やかに、静かに語り続ける。
「けど、なんでか僕は君から目を離せなくなってた…一番しぶとかったからかな?」
ふざけたような言葉でも、少年に向きなおった面差しは真剣で。
「君のことがもっと知りたかった」
なぜこの“変わり者”の翼人と少年が出会ったのか。なぜ翼人たちの態度が変わっていったのか。なぜ少年がここにいるのか。少年の中で、全てが繋がった気がした。それと同時に、胸の中が熱いもので満たされた。苦しいぐらい熱く、激しい想いで。
少年は翼人の肩をつかむと、壊れ物を扱うかのようにそっと引き寄せ、そしてそのまま唇を重ねた。息が続かなくなり、名残りを惜しみながら離れる。
「…いいの?」
「そこまで言われたら、俺だって…腹くくるしかねえよ」
ぷいと顔をそむけて答える少年。翼人が膝立ちになってその頭を抱き寄せる。耳の縁が、ほのかに朱を帯びる。そこを翼人の爪がなぞる。人間とは形の違う指。
指だけではない。人間と翼人はあらゆるところが、ちょっとずつ違う。だが、どの違いも―――大きな翼以外はきっと―――“ちょっとずつ”でしかないはずだ。二人がここにいることがその証。そう少年は信じたかった。
少年は翼人の腕から抜け出すと、その頬に手を伸ばした。
「俺も、お前のことが知りたい」
そう言われると、翼人はためらわずに仮面を外した。限られた相手にしか見せない素顔。鷹に似た金色の瞳に、少年の姿が映り込んでいる。
「…なんだよニヤニヤしやがって」
「やっぱり君はすごくかわいい。もう男でもいいや」
「黙れ」
もう一度、今度は深く口づけを交わした。